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3.大規模な正倉域(倉庫群)

大規模な正倉域(倉庫群)

政庁の南側には、50棟に及ぶ倉庫が規則正しく並べられていました。これらは、当時租税として徴収された米(籾)などを保管する施設で、その大部分は高床式の建物構造をとっていました。財政の象徴である正倉[しょうそう]は、古代役所を最も良く特徴付ける建物群とされています。
本遺跡の正倉は建物の並びから、東西方向に整然と建物が並ぶ東正倉域、南北に建物が並ぶ西正倉域、正倉域の北西側に位置する北正倉域の3群に分けられます。特に、東正倉域の中央には礎石瓦葺建物跡や長大な側柱式掘立柱建物跡が確認されるなど、正倉域の中心部分であったことがうかがえます。

  • 西正倉域の調査時の写真(東上空から撮影)

3.正倉跡

  • 正倉域の範囲

3.正倉域範囲

  • 正倉域の復元イメージ図 ※すべての建物が同時に建っていたかは分かっていません。
3.正倉域復元イメージ

大型瓦葺礎石建物

東正倉域の中心からは、溝で区画した範囲に東西31m、南北9mにおよぶ大きな総柱の建物跡が見つかっています。周囲からたくさんの瓦が見つかっていることから、瓦を葺いた建物だったと考えられます。瓦を葺いた建物は1棟だけで、ここが正倉の中心的な建物だったことがうかがえます。
この建物は、残された根石と礎石を据え付けていた痕跡から、礎石建物であったことが分かります。建物を建てる前には、東西37m、南北12.5mの範囲を掘り下げ、非常に丁寧に版築して建物が傾かないように地業(地盤改良)を行っています。また、建物は周囲よりも一段高い位置にあり、外装は、白色粘土で装飾していたと思われる痕跡も見つかっています。
この建物が建てられたのは、政庁がなくなった8世紀中葉以降と考えられます。建てられた当時、屋根瓦には人名が刻まれた瓦が葺かれていました。古代の役所跡からこのような文字瓦が出土するのは非常に稀であり、当時の人々がこの建物を特別なものとして建てたことがうかがえます。

  • 礎石が抜き取られ根石だけが残る建物の柱跡(左)と薄く何層にも版築された掘込地業(右)

3.礎石跡と地業跡

古代の建物について

古代の建物の柱の建て方は、主に2種類に分けられます。ひとつは、掘った穴に柱を建てる掘立柱建物です。もうひとつは、据え付けた石の上に柱を建てる礎石建物です。礎石建物の場合、地業と呼ばれる地盤改良工事を行う場合もあります。本遺跡の瓦葺建物のように重量のある建物の場合は、建物が傾いたり沈んだりしないように地業を行う礎石建物が一般的です。このような地面に残された柱の跡を見つけることで、私たちは当時の建物の大きさや配置を知ることができます。
3.建物基礎


掲載日 令和2年5月13日
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