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町のプロフィール/紹介

地勢

  上三川町は、関東平野の北部に位置し、首都東京からは北に90km、県都宇都宮市の南に隣接しています。
地形はほぼ平坦で標高約60~80m、東は真岡市との境に鬼怒川、中央に江川、やや西よりに田川がそれぞれ南流しており、広々とした田園地帯を形成しています。

  町の広さは、南北10.5km、東西8.25km、面積は54.39平方kmとなっており、町内全域が都市計画区域に指定されています。 交通は、北関東自動車道をはじめ、町の中央を新4号国道が南北に縦貫し、国道352号、県道真岡・上三川線が東西に横断するなど、幹線道路網の整備が進んでいます。

  また、JR宇都宮線石橋駅に東口も開設されています。

位置

  上三川町は、栃木県南東部で鬼怒川の右岸、首都東京から約90kmの距離に位置しています。
  東は真岡市、西と南は下野市、そして北は宇都宮市の3市に接しています。
  まちのほぼ中心を新4号国道が走り、西端にはJR東北新幹線・宇都宮線が南北に並行して走っています。
 

上三川町の位置図
     役場所在地
     
  栃木県河内郡上三川町 しらさぎ一丁目1番
       東経 : 139°54′36″
       北緯 : 36°26′22″
       海抜 : 67.0m    

     町の大きさ 
       面積 : 54.39平方km
       東西 : 8.25km
       南北 : 10.50km
       周囲 : 53.00km 

 

沿革

  上三川町では、近年の発掘調査で旧石器時代や縄文時代の遺跡が確認されており、かなり古くから人々が生活していたことがわかっています。

  古墳時代には、前方後円墳や大型円墳、方墳が数多く造られ、奈良時代以降も上神主・茂原官衙遺跡や多功遺跡といった河内郡の役所と考えられる遺跡が存在するなど、 古代から河内郡の中心として一早く栄えていたことがうかがえます。

  上三川の地名も、当時の河内郡内にあった三川郷に由来するものといわれています。

  鎌倉時代に入ると、宇都宮城主宇都宮氏の南の砦として、宝治2年(1248年)に多功城が、建長元年(1249年)には上三川城が相次いで築城されましたが、 慶長2年(1597年)に宇都宮氏内部の争いから、上三川城が真岡城主の芳賀高武によって攻め滅ぼされたのをきっかけに、宇都宮氏が、改易になった後、江戸時代は町内の大部分が幕府や多くの旗本、宇都宮藩、関宿藩などの所領となり、そのまま明治時代を迎えました。

  明治22年の町村制施行で、上三川、本郷、多功の3村が誕生しましたが、多功村は同24年12月26日に明治村に改称、同26年7月には上三川村は町制施行し、上三川町となりました。

  昭和30年4月29日、町村合併促進法により、上三川町、本郷村、明治村が合併し、現在の町域を有する新上三川町が誕生しました。

  昭和40年代に入り、日産自動車を誘致するとともに人口が急増し、農業を中心とした町から、田園工業の町へと歩み始めることとなりました。

上三川町章

  上三川町の町章

昭和43年1月1日
告示第1号

上三川町章図案の説明

  1. 「上三川」を1字に抽象化し、円満のうちにも躍動感を表現したもので合併3町村が一つになり飛躍しようとしているものである。
  2. 彩色は2色とする。図形の基本となる部分と他の部分はそれぞれ異なる単色とし、表示に最も美的な表現と思われるものを用いること。

上三川町民憲章(昭和51年11月1日告示第14号)

  わたくしたちは、上三川町民であることに誇りをもち、さらに、一層の発展をめざし、明るく住みよい郷土を築くため、この憲章を定めます。

  一、心身をきたえ、教養を深め、文化の高い町をつくりましょう

  一、郷土を愛し、環境をととのえ、住みよい町をつくりましょう

  一、互いに励まし、心をふれあい、明るい町をつくりましょう

  一、勤労をとうとび、産業をさかんにし、豊かな町をつくりましょう

  一、きまりを守り、よい家庭を築き、平和な町をつくりましょう

上三川町の木『いちょう』(昭和51年11月1日告示第15号)

上三川町の木いちょう太古からわが国に繁殖してきた木で、天をつくほどにすくすくと育ち、青葉・黄葉の季節の美しさはいうまでもなく、落葉した冬木の姿もよく、四季の変化に富んでおり特に秋の黄葉は多くの人に親しまれています。
実はギンナン(銀杏)といい、銀杏ひろいなど幼いころの思い出としてなつかしいものです。一般家庭でも容易に植樹ができ、また害虫や公害にも強く街路樹としても多く植えられています。
 

上三川町の花『ゆうがお』(昭和51年11月1日告示第15号)

上三川町の花ゆうがお夏の夕方畑作地一面に白い花が咲き、果実は果肉をひも状に細く切って乾燥して「かんぴょう」をつくります。
本町はかんぴょうの特産地として名高く、純白な花は清潔な本町を象徴するものです。
ゆうがおの名は、夕顔の意で夕方咲く花に基づくものです。

 

上三川町の鳥『しらさぎ』(昭和51年11月1日告示第15号)

上三川町の鳥しらさぎ町内に多く飛来し、水田や河川や畔などの浅い水中で魚、カエルなどを捕食します。冬期南方に渡りますが少数は越冬し、あるいは、繁殖します。緑の自然のなかに白く映えるしらさぎの美しさはいうまでもなく、舞う姿の優雅さは広く人々の心をなごませてくれます。
かつて上三川城は白鷺城といい、白鷺神社などしらさぎに由来するものがあります。


掲載日 令和3年11月26日
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