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上三川町歴史年表

上三川町歴史年表

歴史年表
時代
西暦
元号
できごと

弥生

時代

239     卑弥呼、魏に使者を送り、親魏倭王の称号と金印紫綬・鏡・刀剣などを賜る。

古墳時代

4C末~5C初頭     このころ浅間神社古墳(上神主)が造られる。
538     百済より仏教が伝来する。

飛鳥

時代

645   6 大化の改新。
684     下毛野古麻呂、中央の豪族と並ぶ朝臣の姓を賜る。
694     藤原京に都が遷る。
このころ河内郡衙(国史跡上神主・茂原官衙遺跡)が造営される。
701 大宝元 8 文武天皇により大宝律令が制定される。
705 慶雲2 4 下毛野古麻呂、兵部省の長官(兵部卿)となる。
707 慶雲4 10 下毛野古麻呂、文武天皇の山陵司(陵墓をつくる担当者)になる。
708 和銅元 3 下毛野古麻呂、式部省の長官(式部卿)となる。
709 和銅2 12 下毛野古麻呂が死去。

奈良

時代

710 和銅3   平城京に都が遷る。
741 天平13 3 六十余国のすべてに国分僧寺と国分尼寺を建立する詔が出される。
745 天平17   奈良東大寺において大仏造立が開始される。
761 天平宝宇5 1 下野薬師寺に戒壇院が設置される。
770 宝亀元   道鏡、下野薬師寺に流される。
775 宝亀6   下野国から出羽国へ出兵する。

平安

時代

794 延暦13   平安京に都が遷る。
796 延暦15   下野国ら諸国の民9000人を陸奥国伊治城に移す。(日本後紀)
798 延暦17   下野国などに帰順した蝦夷を好遇するよう命令が出る。(類聚国史)
875 貞観17   下野国に移住した俘囚が反乱を起こす。
939 天慶2   平将門が下野国府を攻め、これを焼く。
940 天慶3 1 平将門、平貞盛・藤原秀郷の軍に敗れる。藤原秀郷、下野国守となる。
1180 治承4 8 源頼朝、伊豆で挙兵する。
1185 文治元 3 平家、壇ノ浦で滅亡。

鎌倉

時代

1192 建久3 7 源頼朝、征夷大将軍に任ぜられる。
1221 承久3 5 承久の乱が起きる。その際初代上三川城主横田頼業が活躍する。
1237 嘉禎3 10 横田頼業、河内郡横田郷兵庫塚に居館を作り、宇都宮より分家する。
1248 宝治2 10 多功城(町指定文化財)が落成する。多功宗朝、多功城主となる。
1249 建長元   横田頼業、横田郷より上三川城に移る。
1282 弘安5   多功宗朝の三男朝定、分家し児山城を築く。
1313 正和2 7 浄光寺の板碑(町指定文化財)が作られる。
1315 正和4 8 浄光寺の板碑(町指定文化財)が作られる。
1320 元応2 6 上三川城主横田貞朝、上三川城内に善応寺を建立し、菩提寺とする。
1325 正中2 2 上三川城主横田親業、正清寺を建立する。
1329 嘉暦4 5 宝光院の板碑(町指定文化財)が作られる。
1333 正慶2 5 鎌倉幕府が滅亡する。

室町

時代

1338 建武5 8 足利尊氏、征夷大将軍となる。
1351 観応2 11 足利尊氏、弟直義と由比・蒲原で戦う。尊氏は直義を薩捶山で破る。この時上三川城主横田貞朝は、敵陣営に乗り込み、十七騎を討ち取り、足利尊氏から恩賞を受ける。
1369 応安2   簗朝光、簗館を築城する。
1379 康暦元   横田家累代の墓(町指定文化財)の宝篋印塔が作られる。
1380 康暦2 5 宇都宮基綱と小山義政が河内郡裳原において戦う。上三川城主横田師綱は子綱業とともにともに合戦に参加する。
この戦いで、小山氏政が上三川城を攻めたとき、白鷺神社の明神の森に白鷺の群れが現れ、これが飛び交う様を遠くから眺めた小山勢は、白旗が風になびくと見誤り、引き返す。(白鷺神社の由来)
1392 元中9 10 南北両朝統一。
1467 応仁元 1 応仁の乱始まる。
1473 文明5 11 横田綱親、普門寺を建立する。
1477 文明9   応仁の乱終わる。
8 横田綱親・上三川城主今泉盛泰、古河公方足利成氏の命をうけた宇都宮正綱とともに上野白井に出陣。
9 宇都宮正綱・横田綱親、その子保業・清業、上三川城主今泉盛泰、川曲の合戦において討ち死にする。
1504 永正元 3 長泉寺が、上三川城主今泉氏によって建立される。
1526 大永6 12 上三川城主今泉盛高、河内郡横川郷猿山の合戦で討ち死。
1549 天文18 9 喜連川五月女坂の合戦。上三川越中守頼成が先陣を務める。宇都宮尚綱の先陣にあって、今泉泰高・泰光親子、多功長朝・房朝親子が奮戦。
1551 天文20 8 今泉家累代の墓(町指定文化財)の宝篋印塔が作られる。
1558 永禄元 6 上杉謙信、下野に侵入。多功城へは佐野城主佐野豊綱が攻め入り、多功城主多功長朝はこれを討ち取る。このとき敗走する越後勢を追い、上州白井まで遠征する。

安土

桃山

時代

1568 永禄11   織田信長、十五代将軍足利義昭を奉じて上洛する。
1572 元亀3   多功房興・秀朝が宇都宮広綱の命により、徳次郎城主赤井勝連を討ち取る。
1 多功長朝、北条氏政の軍勢から多功城を守る。
12 北条氏直、下総関宿を攻め、その後多功城に迫るも、佐竹義重等と戦い敗走する。
1576 天正6 4 佐竹義重、壬生攻撃のため上三川に出陣。
1577 天正7 9 佐竹義重、上三川へ出陣。小山・榎下を攻撃。
1582 天正10 6 織田信長、京都本能寺にて自害。
1584 天正12 4 北条氏直が大軍を率い壬生・皆川を攻め、宇都宮に迫る。多功綱継は宇都宮陣営の先陣として出陣する。
1585 天正13 7 北条氏直が大軍を率い宇都宮に迫る。これに対し宇都宮勢は、多気城に横田綱員を派遣し、南方の前線である多功城には、多功綱継、簗吉朝に守備させ、北条軍を撃退する。
12 北条氏直、宇都宮城下に攻め入り、民家や寺院等に火を放ち、一部は上三川城・多功城に迫まる。宇都宮国綱、居城を多気山城へ移す。
1586 天正14 10 常陸下館の水ノ谷蟠竜が1000余騎で上三川城を攻撃する。
1590 天正18 3 豊臣秀吉の小田原征伐に際し、宇都宮氏への出兵要請があり、多功綱継・芳賀高武が宇都宮国綱の名代として、秀吉陣所に出向き、これにより小田原落城後宇都宮家は本領を安堵される。
1592 文禄元 3 宇都宮国綱、朝鮮出兵の先陣3000騎を発足させ、続いて後陣3000騎と雑兵500余人を進発させる。この陣営には上三川城の数百人も同行し、上三川城主今泉高光・多功城主多功綱継も西下する。
1593 文禄2   下野において太閤検地が行なわれる。上三川でもこの年実施される。
1597 慶長2 1 豊臣秀吉、宇都宮国綱に対し、浅野長政の次男長吉を養子にするように言う。国綱は北条松庵と今泉高光と相談した上、秀吉の申し出を承諾するが、これに対し国綱の弟の真岡城主芳賀高武が激怒する。
5 芳賀高武の夜襲を受け、上三川城落城。上三川城主今泉高光討死。
10 宇都宮氏改易。

江戸

時代

1600 慶長5   このころ上三川は成田氏の支配地となる。
3 宇都宮藩主蒲生秀行、石崎通長を公用伝馬継立のための多功問屋に任命する。
9 関ヶ原の戦い。
1601 慶長6 2 川中子村年貢割付状(町指定文化財)が作成される。
1603 慶長8 2 徳川家康、征夷大将軍となり、右大臣に任ぜられる。
1620 元和6   成田氏宗により、上三川城付領一万石の検地が行なわれる。
1623 元和9   成田家滅亡。この後、成田領は天領となる。
1633 寛永10   寛永の地方直し令により上三川城付領が21名の旗本に分給される。
1673 寛文13 1 下蒲生田村家の記録に干鰯の導入を裏付ける最も古い記録がある。
1712 正徳2   鳥居忠英が近江水口城から壬生城に移封される。(下野における干瓢伝来)
1721 享保6   このころ栃木県内の人口は約56万人を数える。
1727 享保12 4 多功家子孫多功孫左衛門が今治藩主松平采女に従い日光社参をし、壬生宿にて、多功孫左衛門と旧家臣34名がお目見えする。
1741 寛保元 12 大山村領主小出靱負の領民11名が江戸赤坂御門の小出屋敷にて検見の不公正を訴え出る。
1742 寛保2 11 西蓼沼村の内野「磯川西原地」が新田となる。
1743 寛保3 3 西蓼沼村の内野「磯川西原地」が全村民に分割される。
1771 明和8   上蒲生村と石田村との間に用水に関わる騒動が起きる。
1775 安永4   上神主・下神主村の百姓家居坪付帳によると戸数57戸の内、畳敷きのある家37戸・莚敷きだけの家20戸。
1783 天明3   凶作が起きる。
  下野国南部一帯にて打ちこわしが起きる。
1790 寛政2 10 田村仁左衛門吉茂が生まれる。
1800 寛政12   人口が減少し、年貢を地主側で弁納しなければ、小作人を確保できないという状況になる。
1803 享和3   田村仁左衛門吉茂、苗代が猪によって荒らされたことにより、薄播き、薄植えの自得農法を生み出す契機となる。
1805 文化2   簗村と成田村の間に用水に関わる騒動がおきる。
1806 文化3   関宿通多功道見取絵図が完成する。
1812 文化9   このころ三村は、家数13、人口61人。三本木村は家数12、人口70人。坂上村は家数18。
1814 文化11   簗村で、新百姓が葬礼の際の衣服の制限を守っていないことから、格式出入に関する願書が出される。
1821 文政4 6 成田村の百姓達が用水をめぐり簗村におしかける。
1834 天保5   このころ栃木県内の人口は約34万人であり、江戸時代を通じ最低を記録する。
1841 天保12 1 下蒲生村田村仁左衛門吉茂が「農業自得」(町指定文化財)を著す。3月には、仁良川に来た平田篤胤に朱筆添削してもらう。
1856 安政3   寺子屋一善堂が東汗村に開かれる。
1858 安政5   私塾玉柳軒が上三川村に開かれる。
元治元   寺子屋篁堂が多功宿に開かれる。
1866 慶応2   私塾思誠堂が上三川村に開かれる。
  寺子屋花山堂が上三川村に開かれる。
1867 慶応3 10 将軍徳川慶喜が大政奉還する。
近 代 12 王政復古の大号令を発す。
1869 明治2 2 日光役所を本陣、石橋役所を出張所と定め日光県とする。
1871 明治4 4 東木代村、下籠谷村、上文挟村の入会地論争に対し、栃木裁判所の判決が下る。
7 廃藩置県。
11 県の統廃合が行なわれ、栃木県と宇都宮県の二県となる。
1872 明治5 10 石橋郵便取扱所が業務を開始する。
1873 明治6 5 日省学舎が簗村に、日省学舎支舎が下神主村に、上郷学舎が上郷村に、上三川学舎が上三川村に、培養学舎が東汗村に、又新学舎が石田村に開校する。
6 旧栃木県の壬申地券事業が一部を除き終了する。
6 宇都宮県が栃木県に併合される。
1874 明治7   板垣退助、民選議員設立建白書を提出する。
警察事務が内務省に移管され、各府県に警察掛が設けられ、宿村に警察掛出張所と邏卒屯所が置かれる。本町の各村は宇都宮出張所の分管であった。
10 多功学舎が多功村に開校する。
11 蓼沼学舎の開学が認可される(満福寺が仮校舎)。
12 上三川学舎支舎が上三川村に、蓼沼学舎が東蓼沼村に開校する。
1875 明治8 9 教化学舎が坂上村に開校する。
1876 明治9 6 上三川郵便局(五等)が開局する。
1884 明治17   陸羽街道の大改修工事が行なわれる。
1 栃木から宇都宮に県庁が移転する。
7 上三川村に宇都宮警察署の分署が開設され、警部1名・巡査8名が配属され、4箇所の駐在所が置かれる。
1885 明治18   石橋・真岡道が仮定県道となる。
7 日本鉄道会社大宮・宇都宮間が開通する。石橋駅開業。
10 上三川郵便局の貯金業務が開始される。
1888 明治21   全国の町村数が70,435から13,347となり、栃木県も1,257(町109、村1148)から171(町26、村145)に激減する。
上三川村・上蒲生村・下蒲生村・五分一村・坂上村・三本木村・三村が合併し上三川村に、上郷村・西蓼沼村・東蓼沼村・東汗村・西汗村・上文挟村・西木代村・磯岡村が合併し本郷村に、多功宿・大山村・梁村・川中子村・下神主村・上神主村・石田村・鞘堂新田が合併し多功村になる。
1 東蓼沼小学校の新校舎が竣工する。
1889 明治22 5 はじめての上三川村会が開かれる。
1890 明治23 4 上三川郵便局の為替業務が開始される。
1891 明治24 7 東蓼沼尋常小学校において、高等小学校の授業が開始される。
12 多功村が明治村と改称する。
1892 明治25   大山小学校が明治第一尋常小学校に名称を変更する。
多功宝光院にあった多功学舎が明治第二尋常小学校と名称を変更する。
1893 明治26   上三川村が町制を施行する。
1894 明治27 7 日清戦争が始まる。
1899 明治32 8 河内郡唯一の銀行として上三川銀行が開業する。
1902 明治35 9 足尾地方を中心として県下全域に前代未曾有の大災害をもたらした暴風雨により鬼怒川大洪水で流心が変更する。上郷堤防は380余間ほど決壊し、上郷村南部から上三川町にかけて大被害を与え、上郷堤防付近の田畑は濁流に没し、本郷南小学校をはじめ、多くの建物が倒潰する。本郷村では死亡者1名、重傷者2名、軽傷者5名、全壊の建物は511棟で被害総額221,765円(約8億3千万円)にのぼり、救助米を受けた戸数は160戸を数え、田畑の収穫は5~7割減となる。
11 本郷村の住民、貴衆両院へ被害田畑地租の特別免除を請願するが認められず。
1909 明治42   明治第二・第三尋常小学校が第一尋常小学校に合併され、それぞれ分教場となる。
1911 明治44 12 石橋郵便局にて電信業務が開始される。
1912 明治45 1 上三川郵便局にて電信業務が開始される。
1915 大正4 6 第一次世界大戦が始まる。
1917 大正6   この年、本郷尋常高等小学校に農業補習学校が付設される。
6 県道真岡・石橋線の改修工事が開始される。
7 上三川中心部の新水路疎通式が行なわれる。
1918 大正7   この年、米騒動が起きる。
1920 大正9   この年長雨のため、干瓢が空前の大凶作となる。
上三川町内に郵便函が新設される。
戦後恐慌が起きる。
4 宇都宮・上三川線が府県道に認定される。
9 上三川郵便局にて電話業務が開始される。
1923 大正12 9 関東大震災がおきる。
1924 大正13 4 共同経営であった東汗渡船場が県営となる。
1926 大正15   この年に栃木県の干瓢作付面積2500町を越える。
6 上三川分署が廃止され、巡査部長派出所となる。
12 河内郡南部及び芳賀郡の諸町村長及び石橋町長が連名で栃木県知事及び県議会議長に鬼怒川架橋の陳情を行なう。
1927 昭和2   金融恐慌が起きる。
2 上三川町部長派出所が警部補派出所に昇格する。
1929 昭和4   世界恐慌が起きる。
1931 昭和6 2 明治第一尋常小石田分教場が全焼し、感応寺が仮校舎となる。
9 満州事変が起きる。
1934 昭和9   この年明治村の小学校教員給与未払いが8ヶ月に及ぶ。
1936 昭和11   この年に栃木県の干瓢作付面積3000町を越える。
1937 昭和12 7 日中戦争勃発。
1938 昭和13 4 愛国婦人会上三川町分会が成立する。
9 上三川町商業自治組合連合会が発足する。
10 銃後後援強化週間が一週間に渡り開催され、上三川町でも各種行事が開催される。
1939 昭和14   この年、東蓼沼郵便取扱所で電信及び電話交換業務が開始される。
2 上三川警察署長により廃品回収協議会が開催される。
9 第二次世界大戦勃発。
1940 昭和15   この年に栃木県の干瓢作付面積は戦前最高の3293町を越える。
10 大政翼賛会が結成される。
11 皇紀二千六百年の記念行事が盛大に行なわれる。本郷尋常小学校では、これを記念して有志者の寄付より校門が建てられる。
1941 昭和16 12 太平洋戦争が起きる。
1942 昭和17   ガソリンバスが姿を消し、木炭車となる。

1

上三川町翼賛壮年団の結団式が行なわれる。
9 農繁期国民皆働運動が実施される。上三川町でも上三川町秋期農繁期国民皆働運動協議会を中心に、県立石橋中学校・上三川国民学校・上三川青年学校・坂上国民学校の学徒や、上三川町事業報国隊、上三川町勤労奉仕隊による援農が11月2日まで実施される。
10 上三川町の翼賛壮年団と商業報国会の共同により農繁期勤労協力隊の動員が実施される。
1943 昭和18 2 上三川町において軍需造船供木運動が実施される。
5 軍刀報国運動が実施される。
1944 昭和19 5 上三川町において国民総決起運動が展開される。
12 上三川町農業会が雑穀の供出割当を行なうとともに、エチルアルコール原料と切干甘藷の供出が政府の要請で行なわれる。
1945 昭和20   この年に栃木県の干瓢作付面積約700町。
8 第二次世界大戦が終わる。

 


掲載日 令和5年4月1日 更新日 令和5年4月21日
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