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周辺の遺構との関連

周辺の遺跡との関連

周辺の遺跡

  古代律令制下の本地域は、東山道に属する下野国河内郡にあたります。古代河内郡は11郷からなる中郡で、郡内には東国仏教の拠点として戒壇院が設置された下野薬師寺(下野市)が所在しました。また、下野国府(栃木市)と国分  寺・国分尼寺(下野市)が置かれた都賀郡は南西に隣接します。

  本遺跡と関係が深い官衙関係遺跡としては、西に750mに位置する西下谷田遺跡があげられます。この遺跡からは長方形区画を掘立柱塀で囲み、内部には複数の掘立柱建物と大型掘立柱建物を配し、南門として八脚門を付けた施設が確認されており、7世紀後半から8世紀前半の初期的な官衙(評衙)あるいは豪族の居館と考えられます。

  本遺跡の南南西約3.5kmに位置する多功遺跡では、複数の瓦葺建物跡を含む20数棟の建物跡が確認されており、炭化米も出土していることから、郡衙正倉跡と推定されており、出土遺物から8~10世紀前半を通じて存在したことがわかっています。なお、本遺跡の内容が確認されるまでは、河内郡衙跡の最有力候補地でした。

  古代の河内郡内には「田部」「衣川」の二つの駅家が置かれていたことが知られていますが、その跡はまだ確認されていません。しかし、近年、東山道と推定される道路跡の調査が相次ぎ、そのルートが具体的に検討できる状況になっています。中でも本遺跡の北東約3kmの杉村遺跡・西刑部西原遺跡においては、北東方向に向かって走る道路跡が1kmにわたって確認されました。また本遺跡の南南西約10km付近では、下野市北台遺跡・諏訪山遺跡・三ノ谷遺跡の3地点においても道路跡が確認されており、下野国府・国分寺方面から下野薬師寺に向かうルートはほぼ確認されているものの、下野薬師寺から本遺跡の間にはまだ道路跡の確認例はありません。しかしながら、周辺の状況から多功遺跡周辺を通り、ほぼ南北に結ばれていたものと考えられます。

  生産関係の遺跡として水道山瓦窯は、本遺跡の北約13kmに位置し、近隣の根瓦瓦窯とともに本遺跡への瓦の供給を担っていたほか、下野薬師寺・多功遺跡・国分寺等主に河内郡内の施設に瓦の供給をおこなっていました。

 

 


掲載日 平成24年1月18日 更新日 平成30年8月23日
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