史跡(町指定文化財35)
昭和50年3月10日
見性寺
多功城は宝治2年(1248年)多功石見守宗朝によって築城されました。宇都宮城の南方の固めとして、多功の地が選ばれ、宇都宮第五代当主頼綱の四男宗朝がその使命を受けたといわれています。
この墓所には初代より十四代綱賀まで、慶長2年(1597年)領地を没収されるまで349年間の城主の墓があります。
墓塔はすべて五輪塔で、鎌倉から室町時代の各時代にわたる十二基と、その後に造りかえられた二期の合計十四基がほとんど無傷で現存しています。