史跡(町指定文化財9)
昭和46年4月1日
個人
多功城は宝治2年(1248年)、宇都宮城の南方の固めとして多功の地が選ばれ、宇都宮第五代城主頼綱の四男、多功石見守宗朝によって築城され、慶長2年(1597年)豊臣秀吉により領地を没収されるまで、349年間続いた城です。
規模は東西約400m、南北約300mで、西方約100mの所に西館がありました。
現在、本丸跡の北から西側の土塁・堀の一部と東側土塁の一部を残すだけですが、文化2年(1805年)の旧図面によると、南向きの複郭で、ほぼ方形、東北部に本丸、その南に大手門、西から南に二の丸・三の丸の郭類があったと記されています。なお、南側の遺構は残っていません。
多功氏は代々武勇に優れ、特に戦国大名として著名な上杉謙信や北条氏政の軍勢と戦ったことでも知られています。