史跡(町指定文化財34)
昭和50年3月10日
善応寺
宇都宮第五代当主頼綱の次男頼業はまず横田(宇都宮市兵庫塚)に築城し横田家を名乗りましたが、多功城築城の翌年、建長元年(1249年)上三川に新たに城を築いて移りました。
以後代々上三川城主は横田家でしたが、第七代師綱のとき、康暦2年(1380年)、主家宇都宮氏と小山氏が合戦した裳原(宇都宮市茂原)の激戦で師綱とその長男綱業が重傷を負ったため、今泉郷に住む綱業の弟、元朝が上三川城主を継ぎました。
この墓は上三川城主横田家のもので、三代親業以下9基の墓塔があります。墓塔は宝篋印塔で、鎌倉・室町時代の特徴を残しています。